Inside the gate

米海軍横須賀基地でお仕事をしたいと思っている人達のためのサバイバルガイド。情報が古いということが玉に傷です。英語学習や異文化に関するエッセイも書いています。

モンスターペアレンツを押し付けられた新任時代

 

子供英会話スクール時代の話です。

新任講師として研修を終え、クラスを持つようになりました。プライベートレッスンもいくつか持つことになったのですが、プライベートレッスンを受講していた生徒の保護者の中に、声も態度も大きい青山さん(仮名)というお母様がいました。

社会人経験が浅かった私にとって、青山さんへの対応は大きな負担でした。電話で延々と説教をされたり、「レッスンの進捗状況とその成果を細かく電話で連絡するように」と強く言われていたため、ちゃんと週1回電話しても、その時青山さんの気分が悪いと「はあ・・・はあ・・・・そうですか。先生もういいです。うちの子が優秀なのは先生からお話を聞かなくてもよくわかっていますから」とぶっきらぼうに言われ、がちゃ切りされたかと思えば、翌週はやたらと機嫌が良くて「もーーーーう!全部阿部先生のおかげなんですよぉ♪」と言って長い世間話が始まる・・・。「先生、専業主婦はいいわよ。英会話講師みたいに安いお給料のために働かなくてもよくなるのよ。先生も頑張っていい人見つけて!」などともうそれは楽しそうでした。
私は適当に相槌を打ちながら「ああ・・・この話を聞いている間に営業の電話2,3本かけられるよなぁ・・・」などと考えていたのです。

こうやってつきあっていくうちに、マネジャーに褒められました。

「阿部先生、新人なのに青山さんの対応がきちんとできるなんて、すごいじゃないですか!」

実はこれ、褒め言葉じゃないんですよ。

後になってわかったことなのですが、こういう風に私を持ち上げて、青山さんの担当でい続けさせようという魂胆でした。
青山さんの対応をしているうちに気づいたことがあります。それは彼女がとても我侭で、しかもキレどころがわからないということです。
そんなことでキレるの?っていう感じなんですよ。そのことに腹が立ったのではなくて、キレるチャンスを探していて待ってましたとばかりにキレるっていうんですか?ただの八つ当たりともいえますけど。

こうして私も精神的にきつくなってきた頃、全国のマネジャーと講師が集まって行われる会議に出席しました。
本社の幹部の人間に「あらぁ阿部先生、なんかキラキラしてるじゃない!生徒さんた達の笑顔を見ていると元気をもらえるでしょう?」といわれても「笑顔よりも報酬がほしい」と心底思い始めていた私はもう愛想笑いもできないほどに疲れていました。

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子供英会話講師って意外と大変なんですよ。

レッスンプランを立ててその準備のために小道具やら教材を作るのは、レッスンが終わり、営業の電話を21時ぎりぎりまでかけまくって、それからやっと始められるのです。もちろんサービス残業です。過重なサービス残業と、青山さんをはじめとするモンスターペアレンツは私の心身を蝕んでいきました。
すると後日、自分がせっかく褒めてやったにも関わらず、私がにこりともしないで死んだ魚のような目をしていた様子をおかしいと思った幹部社員が、マネジャーに「飛んだら困るからあの阿部とかいう講師をフォローしとけ!」みたいなメールをしてきたようで、ある日の最終レッスン終了後、マネジャーに個室に呼ばれました。

「元気ないようだけど、大丈夫?うちの商売はお子さん相手だから、いつもにこにこしていてもらわないと困るの」

そこで私が自分の状態を話し「しばらくはこれ以上私にレッスンを入れるのは控えて欲しい。夏期の特別セミナーで追加受講など入れられたらもう死んでしまう」と伝えました。
するとマネジャーは青山さんのことに関して切り出しました。

「阿部先生、実はね・・・・。阿部先生が入社する前、青山さんのお子さんは三木先生(ベテランです)が担当していたのよ。でもほら、青山さんってあのとおりモンスターペアレンツでしょう?三木先生に『もう無理です』って泣かれちゃって。
だけど青山さんなんて他の先生も嫌がるから頼めない。そう思っていたところで、阿部先生が面接に来たの。だから申し訳ないんだけど、何の事情も知らない新人の先生だったらいいかってことになったの。
そういうわけだから、コースが終了する3月までは頑張ってもらえないかな?そしたら新しいクラス編成の時は、青山さんは絶対に阿部先生の担当からはずすから」

まあそれなら・・・と思っていた矢先に、なんと青山さんの転勤が決まったのです!私はこの知らせを聞いた瞬間、神様って本当にいるのかもしれない、と思いました。しかも転勤先は以前住んでいた地方都市Kです。
Kに住んでいた頃も、同じ大手スクールに通っていたため、こっちに引っ越してきてうちでレッスンを継続する際に、K市のスクールの先生方は引継ぎ資料を送ってくれました。引継ぎ資料を送ると同時に、あちらのマネジャー、先生方は大きな荷を肩から下ろせたわけです。そしてその荷を私達が送り返す番になったというわけです。K市の先生には申し訳ないけど、嬉しかった!!!!!!

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