ベースで働いていた頃出会ったフィリピン人の中に、故郷で看護師の資格を持っていたという人が何人かいました。
photo by timefornurses
その人達の親戚の中には、サウジアラビアに看護師として出稼ぎに出ている人もいて、やっぱり看護師というのは食いっぱぐれないんだなぁと実感しました。ちなみにサウジアラビアでは、出稼ぎに来ているハウスキーパーが虐待にあうケースが問題化していますが、同じ出稼ぎでも看護士だと悲惨な目にあうことはなく、待遇は良いそうです。
このように、故郷に暮らす家族を支えるために中東や日本に出て働くフィリピン人達は大勢います。「看護師になりたいから」ではなく、生活していくための手段として看護師になる人達ですね
こういうケースとは違い、出稼ぎに出なくても食べていける国・日本に生まれていながら、外国で生きていくことを選び、そこで生活していくための手段として看護師を目指していた日本人女性を知っています。
「日本で看護師になんてなろうと思わない。だって『痛い~』とか『苦しい~』とかいってナースコールで呼ばれてみなよ。こっちだってしんどいでしょ。でも英語で呼び出されたら、母国語じゃないからそこまで煩わしくないかなぁって思うの。アメリカで暮らして食いっぱぐれないようにするには、まず手に職。だから看護師になる」
こういう人に看護されなくて済むように、健康管理に気をつけようと思いました。
この女性はどうしてもアメリカで暮らしたいと言っていました。
日本で抱えている悩み(仕事がうまくいかない、男運がない)は、渡米すれば解決されると思っていたのでしょう。マーケットを変えれば売れる人というのは、確かにいます(これに関しては後日投稿します)。
だけど私は彼女のこの発言を聞いて、この人はどこで暮らしても悩みから解放されることはないだろうと思いました。なぜならこの人は悩みの原因は自分にあることを知らないからです。
海外に出れば幸せになれると思っている人=「幸せになれない原因は私自身ではない、環境にある」と思っている人あなたの周りにもいませんか?
環境(土壌)を変えれば幸せになれる人は、戦火で母国を負われてしまった難民でもない限り、幸せの種を持っている人だけです。種もないのに土壌だけ変えてもしようがないですよ。
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