私は子供の頃ピアノを習っていたのですが、いつもレッスン時間の5分前くらいに到着するようにしていました。すると私の前のレッスンの、同い年くらいの男の子のレッスンの終盤を見ることになるわけです。
ということは、私が聴くのは彼がウォームアップの時間に弾く単調な練習曲ではなく、練習曲の成果が集約された、ショパンやモーツァルトなどの作品なのです。私は機械のように正確に弾くその少年をソファから眺めながらただただ感心するばかりで、いつかは自分も彼のように弾きたいと思っていました。
子供ながらに「それは違うだろ」と感じたこと
だけどその少年はピアノを弾いていてもちっとも楽しそうではありませんでした。私だってレッスンが嫌だなぁと思った日はあります。例えば明らかに自分の怠惰が理由で、練習不足で臨むレッスン・・・・。
同じところでミスしまくって、ただでさえきつい先生から聞こえてくる呆れを含んだ重いため息。だけどそれは自業自得です。そういう時は1時間がただ過ぎ去るまでぐっと耐えるだけ。親が払ってくれている月謝の一部を無駄にしたな、などと考える余裕などありませんでした。
だけど私はピアノを弾くことが好きでした。でもこの少年はピアノを弾いていても楽しそうではないのです。私がある日先生に「あの男の子、とても上手ですね」と言うと、先生がこういいました。
「あたりまえじゃない。だってあの子、おばあちゃんがピアノの椅子に縛り付けて練習が終わるまで紐を解いてもらえないのよ。一日数時間もね」
私はこの頃9歳、10歳くらいかと思いますが、それでも「なんか違うぞ」と思いました。「辛い思いをしてこそよい練習」を繰り返すことを疑問に思ったのです。それで人の心に響く音を出せるようになるのか?とか生意気にも考えてしまったのです。
縛り付けられなくても自分の意思で長時間練習していられるほどピアノが好きであることが大切だし、またその練習に必要な集中力と強さを養うお手伝いをするのが大人の役目ですよね。マスコミに悪く書かれることの多い、石川遼選手のお父様はそのお手伝いが上手だったのだと思います。
だけど彼のおばあちゃんにしてみれば、紐で縛りつけることが「お手伝い」だったのでしょう。
まあ自分も中学生になってこの「辛い思いをしてこそ・・・」に洗脳されることになるんですけどね(笑)。
◆洗脳されていた頃の記事(サブブログに飛びます):体罰が部員に与える選民意識 - マリア様はお見通し
伝統的な強豪校と一味違う。國學院久我山のサッカー部の練習に見られる創造性と合理性
ヤフーのニュースを見ていたらこのような記事を発見しました。
◆「制約があるからアイディアと工夫が生まれる」、初4強・國學院久我山の逆転の発想(小澤一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
第94回全国高校サッカー選手権大会で初のベスト4入りを果たした國學院久我山サッカー部は、四強の残り三校に比べると、その練習環境はハンデがありました。
5対5のポゼッションの練習も出来ないほど限られた練習スペース、偏差値70を越える進学校ゆえに勉強時間確保のためか、下校も18時10分までに完全に終えなければいけないし、朝練もなし・・・。
スペースにも時間にも制約のある練習をいかに効率のよい、濃い練習にするかというのが指導者側の腕の見せどころでもあるのですが、久我山のような強豪校っていいなぁと思ったんですよ。
スポンサード リンク
効率を重視すれば、強豪校にありがちな技術・精神力の向上には関係ないであろう罵声・暴力の入り込む余地がなくなるじゃないですか。その代わりに自主性が育つし、なんといっても部員達がそのスポーツを嫌いにならずにいられる。
「人間性まで否定するような言葉や激しい暴力に耐えてこそ練習なのだ」という精神論には疑問を感じていたので、このウェブニュースを読んでこんな強豪校もあるのか、と興味を惹かれました。
◆李済華(リ・ジェファ)総監督に関する記事は朝日新聞デジタル:在日韓国・朝鮮人2世 - 東京 - 地域を参照(リンク切れの可能性もあり)。
羽生結弦選手の躍進との共通点
國學院久我山のニュースを読んでいて、世界新記録を更新し続け、日本のみならず海外の解説者達が「完璧に設計されたスケーティングマシンのようだ」と評する羽生結弦選手の躍進を思い出しました。
アジア人の気質なのでしょうか。アジアの人達は時おり苦しくて辛い練習が多いほどよいと考えるのです。もちろん長時間の練習が必要な年齢もあります。もし10歳の時点で「長時間の練習をしたくない」と言ったら、その子は成長しないでしょう。
子供のうちは5時間のセッションを全部滑って、それでももっと滑りたいくらいスケートが好きくらいでよいのです。でも成長しはじめたら、身体にダメージを与えすぎないよう、気を配る必要があります。少年少女の成長期には注意を払う必要があるのです。
(ブライアン・オーサーコーチ著「チーム・ブライアン」第二章「キム・ヨナ」P.95より引用)
オーサーコーチの指導に関するポリシーは、勝つための身体、心、技術を手に入れるためにやるべきことがはっきりしていて、そしてその中には叩かれたり蹴られたり、無駄に乱暴な言葉で罵られても「はい!ありがとうございました!」と頭を下げたりすることは含まれていません。
努力する=ど根性!!!ではないのです。根性は必要だけど「ど」は要らない。心は熱く、頭はクール。
「大声で怒鳴られなければ強くなれない」「殴られてそれに耐えなければ強くなれない」と考える若きアスリートがオーサー・コーチに師事したら、最初は戸惑うでしょう。
「こんなんで強くなれるのかな」って。だけど強くなれるのだということを、オーサー・コーチは証明しましたからね。
◆英語で読んでみたい書籍 第一位「チーム・ブライアン」
フィギュアスケートに興味がある人のほうが楽しめますが、競技に興味がなくても楽しめます。
五輪二大会連続で銀メダル獲得したものの、心無いライターが辛辣なヘッドラインをつけた、自分に関する記事を読み深く傷ついたオーサー氏。そこから確立したメディアとのつきあい方や、まるで女帝なみにコントロール・フリークのキム・ヨナ元選手の母親との関わり方。
常によい演技がしたい=フル・スロットル状態の羽生選手の落ち着け方など、コーチ業ともこのスポーツとも関係ない私達でも参考になる部分はあります。
現役スケーターとしての軌跡、コーチとしての軌跡を是非英語で読んでみたいですね。濃厚な単語集が作れそうです。また、現在羽生選手が練習の拠点にしているトロントのクリケット・クラブがいかに恵まれた環境であるか、まるで目に見えてくるようです。
関連記事(サブブログに飛びます):若林史江さんとマツコさんがいいこと言ってる 野球バカって危なくないですか? - マリア様はお見通し