私はアメリカに暮らしていた頃、通り過ぎざまに「チャン、チュン、チョン」と言われるなどの侮蔑的な行為を受けたことがありません。さすがにもうあからさまにそういうことをする人が少なくなってきているのでしょう。だけど心の中までは見えません。
やはりアジア人は下に見られているのだろうなぁと思うことはあります。
ですからアメリカのファストフードレストランでこんな問題行動があった時、やっぱりなぁと思いました。
パパジョーンズというチェーンのピザ屋が、Minhee Choというアジア系アメリカ人女性の注文を取る際に、名前をlady chinky eyes (chinky=中国人っぽい、という意味。chinky eyes=でアジア人の細く吊った目)と入力してしまったのです。もうこの店員は人種差別云々というよりは、致命的に頭が悪いことの方が問題のような気もします。
自分がそうやって入力したらレシートに表示されて、もしも客がそれを見たら・・・ということに店員の考えが及ばなかったのでしょう。レシートをそこまでよ く確認する人もいないだろうと思ったのかもしれません。だけど相手にわからなきゃいいや、という気持ちって、ふとした時に表に出てしまうものなのです。
商品の渡し間違えを防ぐための入力作業。だから「自分や同僚が見てわかりやすい」ことが大事だった
アメリカの飲食店でテイクアウトのオーダーを受けたら、名前を聞いて入力します。ピックアップの時に渡し間違えを防ぐためです。だけどこの店員がこの「名前を聞く」ということをスキップして、lady chinky eyesと入力したのは、いちいち名前を聞かなくても、客のわかりやすい特徴を入力すれば、商品を渡す時に自分や、そして自分以外の店員が受けても「あ、この客だ」と一発でわかるからです。
私の想像ですが、多分この店員はその程度の考えでlady chinky eyesと入力したと思うんですよ。あまり深い意味はなかった。
このパパジョーンズのアシスタント・マネジャーはこんな風にコメントしています。
「当店は忙しい店です。あれは彼女と彼女のオーダーを確認する手段でした。そういうことってやりますよね。『青い目の女性』や『グリーンのシャツを着た男性』などと書きますから」
あーあ。店員も店員なら、上に立つ人間もどうなのでしょう・・・・。chinky eyesという侮蔑的な言葉を公の場で使うことがいったいどういうことなのか、という認識がないアメリカ人はまだまだいるのです。教養がない人々はどこの国にもいます。「わかりやすければそれでいい」という気持ちも理解できますけどね。
例えば私が実際に言ってしまったことなのですが、ベースで働いていた頃、クックにこう頼んだことがあります。
「ねえ、私ちょっとトイレに行って来るから、ピックアップのお客さんが来たら、カウンターに出てきてこの#1236っていうオーダー渡しておいてくれる?」
「了解。レシートはちゃんと持ってくるんだよね?」
「持ってるはず。もしも持っていなくても、ヒットラー・マスタッシュを生やした、グリーンのポロシャツを着た人なら渡してOK」
ヒットラー・マスタッシュは完全にアウト。でも私にはお客さんを侮辱する気持ちはまったくありませんでした。クックに特徴が伝わりやすければそれでよいと思っていました。だけどお客さんに聞かれていなければ何を言ってもいいのでしょうか?(っておまえが言ったんだろう)
心の中にあるものって、外面をどんなによくしていようと、いつか必ずぽろっと出てしまうものなのですよね。
差別意識はなかった、と言ってしまう気持ちはわからなくもない。なぜなら差別をされたことがない人間には、差別されるということがどんな感じなのか想像できないから、意識もできない
やった側には「深い意味はない」ことでも、やられた側は屈辱的なこともある。これは人種差別を受けることがまずないであろう白人には、この種の差別を受けることによる屈辱が想像しにくい分、差別をしてしまいやすいと思います。
この店員は解雇されたそうですが(人種は不明)、こういう人は他のところでも同じことを繰り返すでしょう。何が問題で解雇されたのかすらわかっていないと思います。解雇した側に「何がいけなかったのか」という本質を説明できた人間はいるのでしょうか。
ちなみにPapa John's本社が公表した謝罪文はこちら。さすがにアシスタント・マネジャーみたいなことは言っていませんね。
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