某メーカーで通訳・翻訳として働いていた時に、とても有能で強気で、それゆえに孤立していた男性エンジニアZさんと出会いました。
リポビタンDしか入っていない「もっと働け!」と叫んでいるかのような自販機が設置されているフロアに入っていたオフィスで、Zさんは有能すぎて孤立していました。仕事はできるんだけど、協調性をはじめとするヒューマンスキルはゼロというかマイナス。だけどヘッドハントされてきただけあって、上司に媚びることもなく、なんと上司だけでなくプロジェクトのメンバー全員彼の携帯電話番号を知りませんでした。
「やることやって、説明もして帰るんだから、もう僕に電話して確認することないでしょう?後は自分達でなんとかしてくださいよ」
ジムの日はさっさと帰宅し、会議に出席してもその会議が無駄だ、自分はこの会議に必要ないと思ったら、これこれこうしておいてください、と的確な指示を出して帰ってしまうような人です。
そのオフィスには生活残業をしているエンジニアがたくさんいました。私は初出勤の日「理系の人って皆こんなもんなのかな」とがっかりしてしまった程ぱっとしない人達ばかり。
その中でおしゃれにも気を使うZさんは浮いていました。ぱっとしないエンジニア達はやはり既婚者が多かったです。一流企業のエンジニアともなると、男性としては魅力がなくても「安定した生活」という餌目当てで女性達が寄ってきたのでしょう。今では一流企業のエンジニアだからといって、安定が約束されているかはわかりませんが・・・。
会社にしがみついている彼らとZさんは、同じフロアにいるのに違う世界に生きているように見えました。そんなZさんに、ある日私も厳しい口調でミスを指摘されました。ついに洗礼を受けたわけです。
「うわー言い方きついなー。言い方ってもんがあるでしょう・・・」と思いつつ、どう見ても私のケアレスミスで、すみませんでしたと謝ってすぐに修正をしました。
びくびくしながら修正したファイルを送ると、Zさんはものすごい集中力でそのファイルを確認し「はい、オッケーです」とひとこと。Zさんにオッケーって言われたんだから、もう完璧だろうと思ってしまうくらい、彼にはカリスマ性もありました。
ある日膨大な量の資料の翻訳を3日以内に仕上げることになり、締め切りから逆算してみると、どう頑張っても3日間で終わりそうもありませんでした。締切日当日、朝日が東京湾の上空にのぼりきった頃に、ようやく翻訳し終えました。
会社の近くに住んでいた友達のマンションでシャワーを借りて、2,3時間眠らせてもらいました。そしてお昼頃出社してメールを立ち上げると、サーバーに置いた翻訳ファイルをZさんが最終確認をして、プロジェクト全員に送信していました。
そしてメールはこう締めくくられていました。
「阿部さんこんな時間までありがとう。完璧です」
Zさんは私の作業完了報告メールの送信時間まできちんと見ていたのです。そしてその一文は、なんと欧州の顧客に送られたメールの末尾にも英訳して記されていました。日本語のメールと同様に、ちゃんと私の名前も書かれていました。
翻訳なんて、末端の人間の中でも一番下っ端でした。そんな人間が何時まで起きて、どれほどの量をこなしたのかなんて、Zさん以外気にも留めていなかったでしょう。たった一行でしたが、Zさんの気持ちがとてもありがたかったし、なんといっても彼に仕事を認めてもらえたようで、それもとても嬉しかったのです。
誰よりもハードに働いていたのに、翻訳者の作業にまでしっかり注意を払える人。
今頃彼はどこで働いているのだろうかと、ふと思いだすことがあります。
自分が有能だということを自覚していたZさん。心労、過労とは無縁の彼でしたから、きっと元気でやっていることでしょう。