かつて、日本に暮らすイラン人は大変だったと思います。今でも大変かもしれないけど、もっと大変だったはずです。
平成生まれの若い子達は知らないと思うけど、私が中学生の頃はイラン人というと「上野公園で偽造テレフォンカードを売っている人達」というイメージがありました。
それから月日は流れ、私がナイトクラビングをしていたある夜のこと。
とても美しい男の子が声をかけてきました。見るからにどこかの国とのミックスです。
「俺、フランシスコ。イタリア人とのハーフ。こいつもイタリア人とのハーフ」
そういって連れの男の子を紹介してくれました。だけどその男の子、どうもあやしいのです。
そして雑談をしているうちに、そのミックスのイケメン君の家族の話になりました。
「両親はイタリアでビジネスを興した。そこで成功して得た資金を元手に、今彼らはイランでペルシャ絨毯を買い付けて、それをイタリアで売っている」
このペルシャ絨毯の話を皮切りに、どんどん話に「俺は中東系じゃない。イタリア人とのハーフなんだ」という強引さが感じられるようになりました。
こちらがきいてもいないのにイタリアの話をする。
こちらがきいてもいないのに、ご両親がイランにいるのはあくまでも一時的なもの、と説明をする。
本当はイタリア人なんだ。イラン人じゃないんだ。
なんで「イラン人じゃない」とそんなに否定する必要があるの・・・・?
匂う・・・・・匂うわ・・・・・。
当時六本木に生息していた国籍詐称する外国人と同じ匂い。
彼の話がおそらくすべて作り話なのだろうと思いながらも、適当に相槌を打ちながらその話を聞き続けましたが、なんだか悲しくなってきました。
多分ハーフの中でも堂々と「俺はどこどことのハーフで・・・」と言える国と、ちょっと言いにくい国があるのです。しかもそれは彼らが悪いわけではなく、彼らがどこの国とのミックスかを知った時に見せる日本人の正直すぎる反応のせいなのです。
私達は行ったことのない国に対しては、GDPやニュースで伝わってくるイメージで判断、想像してしまいます。そして見下したり警戒したりする。そしてそれはある程度しようがないことでしょう。
ダルビッシュ選手の登場が、イラン人とのハーフへの警戒心を緩めることに貢献しているといいな、なんて考えながら今日の記事を終えたいと思います。
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