「GHQを動かした女」鳥尾鶴代さんといえば・・・・
大正八年、鶴代は、満七歳で女子学習院に入学した。
この年から同校では、華族の他に一クラス二、三人の枠内で、上流平民の子女を入学させる制度をとっていたのである
はい、平民でした。だけど平民といってもやはりピンキリです。この枠内におさまる上流平民が鶴代だったわけですが、もうすごいんですよ。父親は慶応出身の商社マン。すごいのはここから先です。
祖父は明治後期から大正初期にかけての南画界の最高峰といわれた画家であり、貴族院議員、そして宮内省顧問の刀剣鑑定家で麹町にある広大な敷地の中に建てられたお屋敷に暮らしていました。ここまですごくても「所詮平民でしょう?」と特権階級からは蔑まれていた時代です。
今更日本史に興味が出てきた
学生時代の日本史の授業は本当に苦痛でした。どんな暮らしをしていたのか想像もつかないようなはるか昔に存在した歴史上の人物の名前を覚える。それだけではありません。年号や地名・・・とにかく暗記、暗記、暗記。
考えようによっては、頭が悪くても点数が取れる教科でもありました。だって暗記すればいいんですもの。理数系が苦手な私にはありがたかった。だけど楽しいと思ったことは一度もありませんでした。だけど大人になってみて俄然日本史は面白いと思うようになりました。
朝食の仕度をはじめてほどなく、庭先で鶴代の名を呼ぶ声がした。
ベランダへ出てみると、麦わら帽子をかぶった少女が、ぺこりと頭を下げた。近所の別荘に住む、富国生命社長小林中家のお手伝いだった
これは鶴代の疎開先である軽井沢での様子を描いた一コマです。たった三行なのに、多くの平民の生活の苦しさに比べたら、だいぶ恵まれていたと思われる彼らの疎開生活が鮮やかに目に浮かびました。恵まれていたといっても、やはり食料や生活物資となると、華族達とはいえそう簡単に手に入らなかったようです。
こうやって読書をしていると、かつて自分が「暗記はつまらないし苦痛」だと思っていた名前を持つような人達も、血の通った人間だったんだなぁと思うのです(鳥尾夫人は教科書には出てきませんが)。無機質な存在だったのに、急にリアルに人物像が浮かび上がってくる感じ。
さて、GHQのチャールズ・ケーディスと恋に落ちた子爵夫人は、いったいどんな女性だったのでしょうか。続きはまた後日投稿したいと思います。
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