社員の飲むお茶やコーヒー。現在ではディスペンサーを置く会社も増えてセルフサービスが普及していますが、お茶くみ担当はかつてあたりまえのように女性の仕事であったように、日本の企業では「これは女がやるものだろう」という不文律がまだ存在します。例えば・・・・
わかります!私は、羊羮が一番困りました。
— ねこたま (@46nekotama3) 2018年10月7日
羊羮を包丁で切る→1人2切れにわける→爪楊枝をさす→お茶を入れる→お茶と羊羮を配る→食べ終わったら下げて洗う。
お土産に羊羮はいけません。
ダメ、ゼッタイ☠️
こういうのありますよね…気持ちはありがたいんだけど、女性社員を苦しめるお土産。
私が働いていたベースの施設では、こういうことは女性がやって当然という感じで求められる空気はありませんでした。もしかすると私が空気を読んでいなかっただけかもしれないけど、女性従業員=小間使いみたいな文化ではなかったことは確かです。むしろ女であるというだけで楽をさせてもらったという記憶があります。
アメリカ人男性従業員やフィリピン人男性従業員は女性に対しての気遣いがあたりまえのようにできる人が多く、そこで甘やかされた私は「もう二度とベースの外で働くことはできないな」と思いました。オンベースでもSRFあたりで働いていたら女中、仲居のように働かなければならなかったかもしれませんが・・・・。
ベースの外で働いていた頃、手土産で羊羹をいただいた時は冒頭部分に貼り付けたツイートで書かれているようなことを私もやむを得ずやった経験はあります。そして配って回るとやっぱりみなさん「ありがとう」と笑顔を向けるんですよね。その笑顔を見るたびに「自分のことは自分でやるよ制」への私の支持は強くなっていきました。
なんで私はこんなことをやっているんだろうと思ったし、こんなことをやるために勉強してきたわけじゃないのになって思いました。だけどお金をもらっている時間は感情などもたないロボットに徹していた方が何かと楽だし、日本社会で生きていく上での割り切りとか線引きは自分でどこかでしていかなければならないものです。
ではベースの外の会社ではどこでもあたりまえのように女性が小間使いのように働いているのかというとそうでもありません。私がある企業で働いていた時、アメリカ人の上司をもったことがあります。ここまで読むと「じゃあ会社の文化はアメリカ文化だったのね」と思われることでしょう。確かにこてこての日系企業に比べたら随分気楽なものでした。だけどこの上司の奥さんが日本人女性で、彼を随分甘やかしていたので、共に働くチームメイトとして仲良くなり打ち解けてくると、徐々に彼は私に対してもそういうことを求めてくるようになったのです。
例えば取引先の人がスイカを差し入れてくれた日のこと(スイカですよ・・・羊羹より厄介w)。隣の部署にいた女性が気を利かせて人数分に切って私達の部署にも分けてくれたのです。そしてそしてチームのみんなで食べていると、私の上司が「僕の妻はスイカを出す前にちゃんと種も取ってくれるんだよね」ぼそっといいながら、私のほうをちらっと見たのを、私は見逃しませんでした。私に種を取れというのはもちろん彼の冗談でした。
ですから私もジョークで応酬することにし「そうですか・・・素敵な奥様ですね。ただ残念ながら私はあなたの妻ではありません」と返したら上司も同僚のアメリカ人達も爆笑していました。
「今日はなんだか暑いねぇと上司が言えば、さっと席から立ち上がりエアコンの温度を下げるのが日本人」だと聞いていた彼らにしてみれば、こういう日本人もいるのかという発見だったことでしょう。
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