(アメ10というコラボブログの記事です)
ぞぞぉぉぉ・・・・。上記の記事は、同じ日本人によるタレコミ(らしい)で不法就労が見つかっちゃった日本人留学生のお話です。
私も実は留学時代、ESLの学生の身分でありながらアルバイトをしていました・・・。しかもESLの狭い校舎の中で。だって雇用主は講師だったんですもの。
「ねえ、あなたピアノ弾けるんですって?」
「はい」
「私の娘ターニャにピアノを教えてくれない?もちろんお金は払うわ」
「でも先生、私のビザだと・・・・」
「私のポケットから出すお金なんだから、あなたが黙っていればわからないでしょ!」
Keep it off the book.....
確かに7歳になるターニャは私に懐いていました。
その先生はアルメニア人で、ご主人と死別してヴィクトルという息子さんとターニャを養っていくために、アメリカにやってきました。アルメニア語のアクセントは少し残っているけど、それ以外はまるでネイティブスピーカー(文法や語彙・イディオムなど)。とても知的な女性であることがわかる英語を話す先生でした。
ただでさえ彫りの深い顔立ちなのに、ものすごく濃いアイメイクをしていたのをよく覚えています。そんなことされたら平たい顔族はもう太刀打ちできないではないか、と先生の顔を見るたびに思っていました。
その先生が仕事を終えるまで、お兄ちゃんが妹を語学学校まで連れてきて、一緒にラウンジで待っているのです。そのラウンジで、私は睫毛がばっさばさの兄妹と出会ったというわけです。
妹のターニャは幼かったため英語に慣れるのも、覚えるのも早かったのですが、もう既に思春期を迎えていた兄のヴィクトルはまだアメリカの生活に適応できていないせいか、寡黙でした。
ターニャは放課後、私がクラスメートと離しているとその輪の中に入ってきて、「髪型はこういう風にしたらいいのに~」なんて話す、とても可愛らしい子でした。
photo by UNDP in Europe and Central Asia
教材は練習曲で基礎をみっちりやって、それから作品を弾くというような形式的なレッスンではなく、ターニャが弾きたい曲を弾けるようになるまでお手伝いをする、というものでした。
日本語で教えるのも大変なのに、英語で教えるんですよ。前の晩に「明日はこういう風に説明するから、どう伝えたらわかりやすいか」ということをルームメイトに確認してネイティブチェックを受けました。
レッスン中に私が言葉に詰まると、実際にやってみせるしかなく、それを見てターニャが「あ、●●すればいいんだ!」「あ、そうそう。●●!」という感じで、私がピアノを教えながら、ターニャから英語を教えてもらっていたようなものです(笑)。楽しかった。ターニャ、美人になっただろうなぁ。ヴィクトルは相変わらず寡黙かなぁ。
あの子達と楽しい思い出が作れたのも、英語が話せたからだと思うと、やはり話せてよかったなと思います。
◆ アルメニア料理 (どれも美味しそう!トルコ料理に似ているような・・・)
関連記事:英語が話せてよかったな、と思ったのはこんな時 - Inside the gate