「日常会話は問題なくて、ネイティブスピーカーともかなり突っ込んだ話ができる」レベルの人向けです。
先日アメリカ人の友人(登場記事 「知らない方がいい真実もあるのか - Inside the gate」とお気に入りの喫茶店に行きました。彼女は普段は相当アホな人で、思い切り笑い飛ばしても失礼に当たらない貴重な人なのですが、お酒を飲みながらバカ話だけではなく、東アジア情勢の話から(彼女が)飼っている金魚の飼育の話までカバーできる貴重な友人です。
そんな友人と話していて「外国人から見た日本という幻想」という話になりました。ということは・・・・当然のように話題に上ったのがこの本。
私は日本の歴史と照らし合わせてどうかということには重きをおかず、あくまでもフィクションの小説として読んだので、まさにページをめくる手が止まらないという感じで楽しめました。
だけど友人は「小説だから、というだけでflower world(花柳界)の真実がここまで歪められてよいものなのか」と言い出しました。
例えば水揚げは、この小説のモデルとなった岩崎峰子さんが芸者だった頃には、既になくなってたそうです。なのにこの小説では、権力や財力を持つ男性達のうち、誰が主人公を水揚げするかという経緯が事細かに書かれています。
また友人いわく「芸者達が磨いていた芸よりも、mistress(愛人)としての一面ばかり強調されているのが気になった」とのこと。だけどこれは西洋の人がゲイシャに抱く幻想ですから、しようがありませんよ・・・・。
教科書としての一冊ではなく、対等な大人として語り合える一冊
小説を題材にこういうことを英語で語り合うだけで、相当勉強になります。ポイントは「自分が英語を磨くための教科書」として選ばれた一冊ではなく、会話の延長線上にたまたま登場した一冊であることが大切です。
なぜなら「あ、それ読んだ」という一冊について語り合うということは、自分の言葉で語ることを必要とするからです。二人の知性や教養のバランスが取れていないと会話は盛り上がりません。
対して教科書として選ばれた一冊について語り合うということは、対等に語り合うのではなくどちらかが「教わる側」になりますから、知性や教養うんぬんよりもネイティブスピーカーの「教える側のプロとしてのスキル」が必要とされます。海外の語学学校のリーディングのクラスを思い浮かべていただけたらと思います。
「ここは私が払うわ」と申し出るべき理由
机上で英検やTOEICの勉強をすることも必要な場合があるでしょう。だけど私は喫茶店で過ごす濃厚な1時間を選びます。そして「コーヒー2杯分」=友人と私の分の値段を私が払うと申し出る理由はただ一つ。
「私がもっと教養があって、もっと英語が流暢だったら、あなただって会話を何倍も楽しめたはず」という負い目があるからです。だから私に払わせてね、ということ。
ええ。濃厚な一時間を過ごすには、自分もそれなりに英語が話せなくてはいけません。そして知性や経験値・・・ああ・・・足りないものばかり。
「旦那さんがアメリカ人だと当たり前のように英語がうまくなるんでしょう?」って思われた方、とんでもない!それだけじゃうまくなりませんよ。その証拠に横須賀基地には、アメリカ人と結婚していても、バカの一つ覚えのように何に対しても"OMG..." あるいは"Really?"で文章を始める日本人女性達もたくさんいます。
夫婦だけの時間も大切だけど、それをより楽しいものにするには、女性が自分の世界を持って視野を広げることも大切だなぁと感じます。
余談:この友人が「(Memoirs of a Geisha」の映画製作にあたり、Geisha boot campっていうのがあったらしいわよ」って言ってたんだけど本当?
ネイティブスピーカー、あるいは外国人なら誰でもいいってわけじゃありません。
こういうやつを見ると、都心ではよく見かける「カフェで英会話レッスン」ってのもやっぱり相手が大事だよなって思います >>日本で増長してしまった外国人vsはったりをきかせる日本人 - Inside the gate
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