日本社会で生きていて疲れる理由は人それぞれ。
自分にだって問題はあるわけですから、社会の構造のせいだけにはできません。環境を変えたからといって幸せになれるわけではないのです。
だけどベースで働き出して、私はフィリピン人従業員の多さに、日本人でありながらものすごいアウェイ感を持ちつつも「こっちの方がホームだな」と思いました。
どういう点が日本社会に比べて楽だったかと言うと:
1.空気感がドライだから各種挨拶周りが不要
勤続年数が長い人達は、退職する時に菓子折りを持ってきたりしていましたが、1年くらいしか1,2年しか勤めなかった人達はあっさり辞めていきますし、それでも誰も何もいいません。「あの人挨拶もなかったのね」みたいな声は聞こえてきませんでした。
産休に入る人も挨拶不要だし、バレンタインデーも適当。
また一日だけ休んだだけで(しかも当日欠勤で迷惑をかけたのではなく、予定休ですよ・・・)「お休みをいただきありがとうございました」と言いながら同じ部署の人達にお菓子を配る必要もないのです♪
こういう日本人社会特有の面倒さがなかったのは、環境に漂う空気感がドライだったからなのかなと思いました。
ですってよ。>若手社員は「年末の納会」までが仕事のうちだ 新人は片づけとあいさつでポイント稼ぎを! https://t.co/67QBnjUe2N
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2016年12月29日
くだらないなぁ・・・・。
2.「山なし谷なしオチなし」の女子トーク地獄からの脱出
先日氷コーヒーがどうしても飲みたくなって、ミスドに行って店内で飲んでいたら隣に妙齢女性二人が座っていました。彼女達から聞こえてくる話を聞きながら、やっぱりこういう会話を楽しめない自分はマイノリティなんだなぁ・・・って思いました。
女性同士ならば楽しいであろうはずのこういう山も谷もオチもない、どこに行き着くのかなぁ・・・という会話が耐えられなかったのですが、ベースで働き始めてからはこういう女子トーク地獄とは無縁の生活になりました。
なぜならベースで働いていた時は、休憩時間も同僚と食べたり一人で食べたりと様々でしたが、同僚達がぶっとんでいる人が多かったため、会話に参加しなくても聞いているだけで気分転換になったものです。
だけどフィリピン人従業員がここに加わると、「国籍を越えて皆で楽しめる話」にシフトするじゃないですか。するとどうしてもシモネタになるんですよ。外国語を覚える時は悪い言葉の方が覚えやすいって言いますよね。だから日本語が拙いフィリピン人でも入ってこれる話題=シモネタになってしまうのです。だけどくだらないシモネタは、私にとって日本人女性の女子トーク地獄に比べたら1000倍ましでした。
3.一日一笑が可能。アメリカ人の切り返しに「そう来たか!」と完敗の毎日
ある晩のことでした。男性のお客様が食事を終えてお支払いになる時「ふー食った食った」と言ってレジまでやってきました。
「(スラックスの)ボタンがはじけとぶ前にお食事を終えられたようですね」と声をかけたらこういわれました。
「ぐふふ。その心配をしなくてもいいように、今日はスウェットパンツなのさ♪」
こんな風に切り返されると、負けた!と思いながらお客様と一緒に笑えるじゃないですか。笑いって大切だなとつくづく思いました。人の脳や心、そして体調にまで密接に関係していますよ。
以上ざっと書いてみましたが、他にも思いついたら加筆していきます。
でもこれは私が勤めていた施設に限った話ですので、事務職の日本人村だと事情はまったく違うはずです・・・。
関連記事